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昭和天皇発言「富田メモ」報道への疑問
去る20日、富田元宮内庁長官が残したメモが公表され、新聞・テレビは昭和天皇が「A級戦犯合祀に不快感」を示されたと一斉に報じた。
この種のメモの評価には厳格な史料批判が必要なことは常識だし、また、(このメモが真正のものであったとしても)そもそも天皇陛下の「私的なご発言」を公表すること自体の是非も検討されるべきだろう。
ところが、そんなことはお構いなしに、マスコミや政治家の間で「昭和天皇のお言葉は重い」とか「A級戦犯を分祀すべし」という主張が飛び交っており、黙っていては、検証を経たメモの内容ではなく、いい加減な報道の方が事実だと受け止められかねない様相も呈している。そこで簡単に今回の騒動の問題点を整理しておきたい。
まず、各種メディアは昭和天皇が「A級戦犯合祀」に不快感をお持ちだったと報じているが、果たして、このメモからそう読みとれるのかという大きな問題がある。その際、引用されるのは次の記述である。
「私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま。正しくは白鳥)までもが」
「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」
しかし、ここから参拝中止の理由がいわゆる「A級戦犯」合祀にあるとは判断するのは拙速であろう。というのも、終戦直後、昭和天皇は東京裁判で訴追された戦犯容疑者に対して「戦争責任者を聯合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて退位でもして納める訳にはいかないだろうか」と述べられ、訴追された木戸幸一内大臣に対しては「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者ならん」とおっしゃられた。また、いわゆる「A級戦犯」のシンボル的存在である東條英機元首相に対して厚い信頼を寄せておられたことは「昭和天皇独白録」など各種史料で確認されている。
さらに、徳川義寛侍従長の著書『侍従長の遺言』には、「A級戦犯」が合祀された際のことが次のように記されている(当時は侍従次長)。
「私は、東条さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしいのじゃないか、と言ったんです。永野修身さんも死刑になっていないけれど、まあ永野さんは軍人だから」
これは神社関係者に述べたという徳川氏の言葉だが、徳川氏が勝手にこうした発言をするとは考えられず、そこには昭和天皇のお気持ちが反映していたと考えるのが自然だろう。
こうしてみると、「A級戦犯」全体ではなく、死刑に処せられた軍人・文官と刑の執行や公判途中で死亡した軍人でない人たちとの間に明白な一線があることが読みとれる。このことは、「A級戦犯」合祀が新聞で報じられた日(昭和54年4月19日)、入江侍従長は、新聞が主として報じた東条英機元首相に触れることなく、「朝刊に靖国神社に松岡、白鳥など合祀のこと出(る)」と、「松岡・白鳥」の合祀のごとく日記に記していることからも裏付けられよう。だとすれば、今回のメモから「A級戦犯」全体の合祀に昭和天皇が「不快感」を示されたと読みとることは、むしろ無理があるというべきだろう。
この他にも、このメモには検証されなければならない点がいくつもある。例えば、このメモの記述自体の信憑性、正確さである。通常、この種のメモには記録者が意図せずとも何らかの主観が反映すると考えられる。特に、昭和天皇が「A級」という言葉を使われたのかどうか、靖国神社への行幸を自らが「参拝」という言葉を使われたのかどうかという点は疑問であろう。
さらに、天皇陛下のお言葉は重く受け止めなければならないとしても、それが政策決定なり政府の行動なりにそのまま反映することとはならないというのが立憲主義の原則である。かつて内奏の際のお言葉を記者会見でもらした増原防衛庁長官は、「天皇の政治利用」だと批判され、更迭された。ところが、今回は公表するつもりのなかった宮内庁長官のメモが、その死後、意に反して夫人から日経記者の手に渡り公表されたにもかかわらず、何ら問題視されず、逆に「昭和天皇のお言葉は重い」などとしたり顔で「A級戦犯分祀」を主張する政治家がいる。これは逆の意味での「天皇の政治利用」と言える。
このメモには、他にもまだ検証されなければならない点は多い。いずれにしても、今はこのメモが政治に利用されないように注意し監視する必要があると思う。
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