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安倍氏の歴史認識は「問題」なのか

  9月11日の日本記者クラブ主催の公開討論会で、谷垣禎一財務大臣が「日中国交正常化をした時に、中国は戦争指導者と一般の日本国民を分けて国交回復をした経緯がある」と述べた。これに対し、安倍晋三官房長官は「それは文書として残っていない。日本国民を二つの層に分けることはやや階級史観風ではないかという議論もある。国と国とが国交を正常化するのは、交わした文書がすべてなんだろうと思う」と語った。「歴史認識は歴史家にまかせればいい」とも言っている。
 安倍氏の発言は至極当然のことを言ったまでで、本来は問題にするべきことでもないが、一部のマスコミはこの発言を取り上げて批判をしている。谷垣氏の推薦人の一人である加藤紘一氏などは「安倍氏の発言は臨時国会で大論争になる」とまで言っている。
 そもそも中国側の歴史認識とは昭和47年(1972年)年9月25日、北京の人民大会堂に当時の田中角栄首相を迎えての夕食会の席上、周恩来の「中国人民は、毛沢東主席の教えに従って、ごく少数の軍国主義分子と広範な日本人民とを厳格に区別してきました」という発言からだ。
 しかし、周恩来は昭和24年(1949年)の中華人民共和国樹立宣言の際、「われわれ中共軍が日本軍と蒋介石の両軍に鉄砲を撃ち込み、さらに日華協定を妨げたことが、中国共産党の今日の栄光をもたらした起因である」と言明している。毛沢東も昭和39年(1964年)7月10日、訪中した当時の日本社会党委員長だった佐々木更三氏と会見した際、「日本軍のお陰で、中華人民共和国をつくることができた」と発言し、日本に対して感謝の意を示している。
 周恩来や毛沢東のこれらの発言を知ってか知らずか、安倍氏の「歴史認識」を批判する谷垣氏や加藤氏の態度は、江沢民以降の「反日政策」の代弁者と言われてもしかたがなく、いつまでも中国が上で日本は下という不正常な外交関係が続くだけである。
 安倍氏の態度こそ、聖徳太子が隋の煬帝に奉呈した国書に書かれていた『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや云々』に繋がるのであり、そこで初めて戦後の日中関係が対等になるのである。