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今こそ、不毛な防衛論議からの脱却を
安倍総理は9月29日午後、総理就任後初の所信表明演説を行った。演説の中で特に注目すべきは、歴代総理として初めて、国会演説で憲法解釈上、政府が禁じている集団的自衛権の行使について具体例を研究する考えを表明したことだ。今日まで、日本政府(正式には内閣法制局)の憲法解釈では、「個別的自衛権はあるが、集団的自衛権は有するが行使できない」としてきた。
我が国が集団的自衛権を「保有しているが、行使できない」という解釈をするのであれば、例えば、「表現の自由は保有しているが、それを行使することができない」という場合、自分の言いたいことを表現することができず、結局は表現の自由そのものを保有していないことと同じことになる。
日本が独立を果たした昭和26年(1951年)のサンフランシスコ講和条約第5条には「連合国としては、日本国が主権国として国連憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること(中略)を承認する」と明記されている。国家が自衛権行使の態様として、個別的自衛権のみに依拠するのか、あるいは集団的自衛権に訴えるのかは、国家の政策上の選択であって憲法解釈上の問題ではないのである。
そもそも内閣法制局は官僚である。官僚が国家の基本問題に有権解釈を下し、それが日本政府の統一見解となり、国会で集団的自衛権の質問が出るたびに、政府答弁を拘束していることの方が問題である。
例えば今後、台湾海峡で紛争が起きれば、地域の安定のために在日米軍が出動するだろう。その時、日本は何ができるのか。新ガイドラインでは後方支援をできることになっているが、それでも有事に際し米軍と一体になるような行動は集団的自衛権にあたり、憲法上行使できないとするのか。米軍が日本近海で血を流している時に、日本は日本国憲法を盾にただ手をこまねいていたら、アメリカ人は日本人を何と思うだろうか。アメリカから信頼を失うだけでなく、世界からも侮蔑を招くに違いない。
安倍総理が主張する「世界とアジアのための日米同盟」を基軸とする外交を進めるためにも、「集団的自衛権の研究」に留めるのではなく、「集団的自衛権の行使は可能である」という解釈に政治主導で改めるべきだ。そうすることが不毛な防衛論議に終止符をうつことにもつながる。それが出来るのは安倍政権をおいて他にはないのである。
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