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教師へのメッセージ「教育に熱意と責任をもって!」
全日本教職員連盟副委員長・
日本教育文化研究所専務理事 |
| 植田宏和 |
「教育は人なり」この言葉は、教育の本質を示すものであり、教育をする者の人格が問われている言葉である。家庭教育においては親の人格が、学校教育においては教師の人格がそのまま子供への教育に現れる。特に子供は学校で過ごす時間が長く、教師が子供たちとかかわっている時間は、親と同等またはそれ以上の場合もある。従って、教師の人格的影響は極めて大きい。このことをすべての教師は自覚すべきである。教師が子供や親の機嫌をとったり(子供や親の理不尽な要望にあたふたしていること等)、自分たちの都合のよいことばかりしたりしている(自分たちの給与勤務条件等の権利ばかり主張ばかりしていること等)のを見て、子供たちが健全に育っていくとは考えらない。「教師も人なり」という人もいるかも分からないが、やはり「教育は人なり」なのである。教師は子供が目指すべき道しるべとなるよう、背中を見せなければならない。
教育が荒廃してきたと言われる昨今、その原因を教師のみに押しつけるのは間違いであると思う。しかし、授業日に横断幕を掲げてデモ行進等をしている姿を見て、すべての教師が子供のための教育に邁進しているのかという疑念もある。子供を伸ばすためには教師自身が人格を高め、様々な問題に対して毅然とした態度で取り組むことが必要であり、教育に対する熱意と責任を持ち続けることが大切である。
平成19年2月、文部科学省は、「教師が毅然とした指導ができるように」との観点から学校教育に懲戒・体罰の運用基準について全国の都道府県教育委員会に通知した。これは昭和23年、当時の法務庁の見解が基準とされてきた体罰の範囲を見直すもので、居残りや起立を許容したものである。しかし、昭和23年以後居残りや起立などなかったわけがない。事実筆者も、よく宿題を忘れ居残りさせられた記憶がある。この時の記憶は曖昧ではあるが、担任教師が付き添ったり、声かけをしてくれたりと温かい雰囲気で体罰という意識などさらさらなかった。これは、教師の熱意を子供ながらに感じていたのであろう。
教師は、自らの人格を高めると共に、熱意と責任を常にもって教育に携わるべきである。 |
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