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史実の追求に価値相対主義を持ち込む愚

 日本では最近、何かと「価値相対主義」が横行している。もともとは特定の価値観の絶対性を否定して歴史や文化による相対化を図ろうというものであろうが、それがあるコミュニティ内(たとえば日本)の話として本来白黒をはっきりできること、あるいははっきりすべきことについてまで「まァいろいろな考え方があるからね〜」などと言い出すのでは困るというものである。こうした発想を濫用した思考体系は、果ては道徳や国家の相対化につながる。現に、目下道徳教育や愛国心・宗教心涵養を妨げようとする風潮を支える最たる“勢力”もこれである。
 我が国における日本史必修科目化(これはどの国家を見ても当然の話であるが)の議論も、「日本史をどう教えるか」という重いテーマとは切り離せない。特に日本というものの根本や我々日本人の尊厳などに関わる点については重々留意したうえで子供たちに「史実」を伝えてゆかねばならない。そういった際にも我々の足元をすくいかねないのが悪しき価値相対主義である。
 今月号の『中央公論』の<新聞の論点>というコーナーで、「教科書検定問題」と題して沖縄戦の「集団自決」の問題が取り上げてられている。朝日・毎日・(もちろん)読売・日経・産経の各新聞の関連記事を引用しつつ公平に問題を論じる姿勢を装ってはいるが、なんと他の新聞については引用と要約のみであるにも関わらず産経新聞の記事に対してだけは明らかな批判を加え、「軍の命令で強制されたとする誤った記述があった」(10/3社説)との行について「この断定の根拠は、どこにあるのか」と指摘する。かと思えば筆者は返す筆で「史実の認定というのは、とても難しい」と開き直る。
 本メルマガ読者各位は周知の通り、関連して当該新聞に掲載されてきた記事や情報(学者による論述など)を読めば、「誤った記述があった」とする根拠も数々挙げて論じられていることは明らかである。公平を装った価値相対主義を掲げて自身での真摯な検証を怠り、史実の論証が難しいと言いつつ、その「難しい」作業を誠実に進めんとする一方の立場を無下に踏みにじっているのである。
 因みにこの筆者は9月29日に沖縄で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」についても「約一一万人集まったという」という主催者側の主張を鵜呑みにし、写真検証まで行われたその数字の虚偽性(実際は1万数千人?)を一顧だにしない。そう、この筆者も「価値相対主義」の衣をまとって前提ありきの議論を粉飾し、なんと最後には教科書検定は「慎重に検討すべき課題だろう」と自分の意見すら述べずに終わるのである。日本人の尊厳を守るための史実の追求を、価値相対主義に妨害させてはならない。