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歴史認識は国際社会認識につながっている
1月25日、映画「南京の真実」の第一部「七人の『死刑囚』」の東京での試写会が行われ、会場の定員1100名をはるかに超える方々が参加した。このように、歴史認識に関わる議論に多数の耳目が集まり、南京事件にまつわる争点や論法についての見識が広まるのは好ましいことであろう。
ところで、こういった類の歴史認識は単に歴史の議論のみにとどまらず、各人の現在の国際社会観や我が国についての危機意識に密接に結びついているのである。それを象徴するような記事が今月号の『論座』(朝日新聞社刊)に掲載されている。「日本外交を構想する―ミドルパワー連携による秩序のインフラ作りを」と題されたこの文章は、21世紀に入ってきてから特に安倍政権期には我が国の近隣外交がだったとしたうえで「深層部分で歴史問題が絡んでいるため、事は極めて複雑である。そもそも1930年代以降のあの戦争をどう総括するかという歴史問題は、日本社会を分裂させる深刻な問題であった」と述べる。
問題はそれに続く行である――「そもそも中国や韓国の対日観も情念が支配するものであったが、日本社会が同様の要素を抱えることによって、日本と中韓両国の間に感情的な悪循環の構図が深まることになったのである。その不幸な悪循環を解きほぐすイニシアティヴを構想することこそ、日本外交の王道だろうと思う」――つまり、中国や韓国が自らの歴史観を声高に主張し、場合によってはこちらに押し付ける(しかも情緒的に)のは仕方なしとする一方で、我が国が「歴史の真実」を主張するのに抑制を利かせようというのである。
さらに「日本が対応を誤れば、歴史問題は、日本外交の頼みの綱であるアメリカへと波及する下地が存在する」「そこに、歴史問題に関して韓国や中国とアメリカの間に連携が生まれる素地がある。そしてこれは、明らかに日本孤立の構図である。それを孤立と認めない保守的議論がある」とし、そうした「保守的議論」を一種の観念論と切り捨てる。筆者の軸足がどこにあるのかという危惧もさることながら、自国の尊厳を損なってまで相手国にすり寄ろうとするその姿勢には失笑を禁じえない。
そのうえで「戦後日本の朝鮮半島政策が、大国の立場から地政学的な意味合いを持ったことは、ほぼ皆無であったといってよい」「実際には、日本と朝鮮半島が、米中ロの『三大国』に囲まれているという構図のほうが、はるかに実態を反映しているのである」との現状認識を示す。かつて戦前は国際共産主義の攻勢の最前線に立たされ、戦後も地理的重要性を損なわない我が国の立場から、この筆者のように目をそらしていては、然るべき歴史認識の再構築、ましてやそれを世界中に広めていくことは不可能である。歴史認識と国際社会観の一体性を踏まえ、周辺国に対しても毅然とした態度をとり続けることが我々日本人には求められている。 |
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