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密かに進む民主党「革命」

 民主党政権を巡る話題と言えば、普天間移設問題、小沢・鳩山の政治資金問題等々、そして外国人参政権問題、夫婦別姓問題などに集中しているが、一方、あまり話題にのぼらないまま進行している危機もある。

 例えば、「地域主権改革」である。鳩山首相は今年1月の施政方針演説において、この「地域主権改革」こそ「国のかたちの一大改革であり、鳩山内閣の改革の一丁目一番地」であり、今年を「地域主権革命元年」としたいと述べた。むろん、主権は唯一無二のものだから地域に主権があるというのは矛盾であり、一般には「地域主権」は言葉の綾で地方分権を徹底したものという程度の受け止め方であろう。

 果たしてそうなのだろうか。結論を先に言えば、「地域主権」という危険な発想は松下圭一という政治学者の異端の学説に由来することが既に指摘されているが、ここでは詳しい解説は省略してごく簡単にその意味が理解できる発言を紹介しよう。松井孝治官房副長官と平田オリザ内閣府参与(作家)と言えば、鳩山首相の重要演説を執筆していると言われる人物だが、その二人が今年二月のシンポジウムでこんな発言をしている。

《平田 ずっと10月以来関わってきて、鳩山さんとも話をしているのは(略)、やはり21世紀っていうのは、近代国家をどういう風に解体していくかっていう百年になる(略)。しかし、政治家は国家を扱っているわけですから、国家を解体するなんてことは、公にはなかなか言えないわけで、(それを)選挙に負けない範囲で、どういう風に表現していくのかっていうこと(が)、僕の立場。
松井 要はいま、平田さんがおっしゃったように、主権国家が、国際社会とか、地域の政府連合に、自分たちの権限を委託するっていう姿。流れとしてはそういう姿になっているし、そうしないと、解決できない問題が広がっている。
平田 国にやれることは限られるかもしれませんっていう(略)実はすごく大きな転換を、すごく巧妙に(略)、(演説に)入れているつもりなので……(略)》(引用は「週刊現代」4月6日号に掲載された逢坂巌「鳩山さん、あなたはガンジーじゃないから」による)

 平田参与、松井副長官ともに、「国家の解体」が歴史の流れだと考えていることがはっきり分かる。つまり、「地域主権」は国家主権を前提とした地方分権とは根本的に違う、文字通りの「地域主権『革命』」であり、それを「すごく巧妙に」鳩山演説に入れたと書いた本人たちが告白しているのである。

 ならば、「地域主権」を地方分権の延長線上にあるものだと考えていれば、いつの間にか「革命」が起こっていたということになりかねない。民主党政権自体を1日も早くストップさせるしかない。

新聞が報じない民主党の「ご都合主義」

 ご承知のごとく、政治資金報告書の虚偽記載問題で、東京地検が「不起訴」とした小沢一郎民主党幹事長に対して、検察審査会が審査結果としては最も重い「起訴相当」を全員一致で議決した。これで小沢幹事長に対する再捜査が始まる。検察審査会は抽選で選ばれた国民が検察の起訴・不起訴などに対する不服申し立てを審査する機関。東京地検は「灰色」ということで不起訴にしたが、国民常識では「真っ黒」と判断されたとも言える。再捜査の結果がまた不起訴ということになれば、再び検察審査会が審査し、そこで再度「起訴相当」が決議されれば、小沢幹事長は強制的に起訴される。

 これに対して早速、民主党議員が「司法のあり方を検証・提言する議員連盟」なるものを結成し、検察審査会が「国民の感情で簡単に被告席につけてしまっていいのか」と主張している。むろん、検察審査会に対する圧力だと、マスコミも批判している。しかし、マスコミは書かないが、こんなご都合主義は他にない。

 そもそも検察審査会は「国民の司法参加」「国民目線」だからと機能強化を主張してきたのは民主党である。ところが、審査会の矛先が民主党に向けられたら、「国民の感情で起訴してよいのか」と言う。まさに絵に描いたようご都合主義だ。

 また、検察審査会を政治追及の道具として使ってきたのも民主党だ。例えば、自民党旧橋本派の日歯連献金事件では、橋本元首相などが不起訴になったが、その処分を不服として検察審査会に審査申立書を提出したのは民主党自身だ。自民党議員が不起訴になった政治資金疑惑事件で検察審査会で「不起訴不当」(小沢氏のケースよりもかなり軽く拘束力もない判断)が出れば、それを理由に国会での証人喚問を要求している。いかに検察審査会を利用してきたかは民主党HPで検察審査会を検索するとよく分かる。

 民主党がかつて主張していたように「不起訴不当」で証人喚問なら、「起訴相当」という重い審査結果が出た小沢氏に対しては議員辞職を求めるのが筋。だが、民主党は逆に審査会に圧力をかける議連をつくったというのだから、こんな身勝手、ご都合主義はない。こんな政党に政権は任せられない。

新党「たちあがれ日本」との関係について―愛読者の皆様へ

メルマガ・FAXニュース愛読者の皆様へ

新党「たちあがれ日本」との関係について

 既に新聞報道などでご承知のことと存じますが、平沼・与謝野氏による新党の名称が「たちあがれ日本」と決まったことが報道されています。しかし、当「立ち上がれ!日本」ネットワークは、平沼・与謝野氏による新党である「たちあがれ日本」とは、一部志向する政策が重なるところはあるものの、政治的にはまったく関係はありません。

 ご承知のように、当「立ち上がれ!日本」ネットワークは、ボランティアによって運営されている「草の根保守」のネットワークであり、政党や政治団体ではありません。

 また、平成17年12月から活動を開始し、既に四年余りメールマガジンやFAXニュースを発行し続けております。従って、今回の新党立ち上げと連動してるわけでもありません。

 読者の皆様には申し上げるまでもないことですが、以上、改めて確認させていただきます。引き続き、ご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。

余りにもナイーブな毎日論説委員の夫婦別姓「賛成論」

余りにもナイーブな毎日論説委員の夫婦別姓「賛成論」

 毎日新聞の伊藤正志論説委員が「論説ノート」(3月26日付)に、自らが別姓に賛成する理由としてこんな呆れたことを記している。

 「別姓が家族のきずなを破壊し家族制度の崩壊をもたらすという反対派の主張は根拠がないと考えるからである。家族を結びつけるのは愛情だ。名字が同じだときずなが保たれるならば、今日なぜこれほど離婚が増え、児童虐待が横行するのか。おかしな話だ。」

 つまり、家族を結びつけるのは愛情であって名字が同じことではない。現に家族の絆はすでに今も破壊されているのだから、同姓か別姓かは家族崩壊とは関係ない――と氏は訴えているのである。

 何とも子供騙しというかナイーブな理屈ではある。これでは世の反対派はもとより、少し賢い中学生だって説得することはできまい。

 まず、「家族を結びつけるのは愛情だ」との主張だ。「愛情」はむろん大事だが、それだけで家族は維持できないのは誰でも知っている。だからこそ、民法は夫婦や親子に様々な義務を課しているわけで、同姓制度はその一端にすぎない。

 同時に、「家族を結びつける愛情」とは恋愛感情とは違う。それは人生を共に歩むことを決意した伴侶や子供への責任と義務の感覚に裏づけられたもので、いわば「献身的な愛情」だと言えよう。敢えて極論を言わせてもらうと、結婚に際して、名字すら統一できない程度の「愛情」では、先が思いやられる。余計なお世話かも知れないが、そんなカップルには、本当に結婚したい相手なのか、よくよく再考せよ!とも言いたくなる。

 一方、同姓制度の今でも離婚や児童虐待が増えているのは事実だが、だからといって、「家族の絆」にとって、同姓か別姓かは無関係などとは言えない。というのも、同姓だからこそ離婚も虐待も今の規模で済んでいるのであって、夫婦親子別姓の世になれば、離婚や児童虐待の規模が桁違いになるであろうことが高い確率をもって予測されるからだ。

 これは憶測ではない。離婚や児童虐待急増の背景には、過度の個人主義や地縁血縁という「社会の絆」の脆弱化があると言われるが、夫婦別姓の導入は、日本の社会をその方向に更に二歩も三歩も進める「突破口」となるからだ。何より「別姓先進国」のスウェーデンやアメリカの日本とは比較にならない離婚の多さはこうした懸念を裏づけて余りある。

同論説委員は、選択的別姓制度のポイントを「少数者の自己決定権」にあるとして、「問われているのは日本の民主主義だ」と結論付けている。だが、自己決定権イデオロギーに幻惑されて別姓制度を導入すれば、日本社会の存在自体が問われることになるのである。

「子供の気持ち」が抜け落ちている夫婦別姓論議

 国民の過半数が反対しているにもかかわらず、今国会に夫婦別姓法案(民法改正案)が提出される可能性が高まっている。そんな中、朝日新聞(2月24日付)に掲載された主婦(30歳)の次のような投稿が目に付いた。

《母親の就労に関する投稿を今まで多々読ませて頂きましたが、いつも思うのは、「子どもの気持ち」が議論から抜け落ちているのではないかということです。
 私は、共働きの家庭で育ちました。母親は公務員で、私は生後2カ月ほどで乳児院に預けられました。小学校に上がると、今のように学童保育はなかったため、夜までひとりでお留守番。やっと母親が帰ってきても、家事に追われ、かまってくれませんでした。風邪を引いて熱が出ても、仕事を休んでもらえませんでした。子どもの時の記憶に母親の姿はほとんどありません。……》

 何とも気の毒な話だが、この投稿が印象深いのは、〈「子どもの気持ち」が議論から抜け落ちている〉というのは、まさに今の別姓論議についても当てはまることであるからだ。夫婦別姓は親子別姓でもあるから、当然子供も当事者となるが、これまで政府が子供を対象とした意識調査を行ったという話は全く聞かない。

 ただ、幾つかの民間の調査によると、過半数の子供たちが親子別姓に嫌悪感や反対を表明していることが知られている。同時に、別姓が「子供にとって好ましくない影響がある」と考える大人の割合は七割近い。民主党政権が許せないのは、こうした事実があり、しかも同党は日頃「子供の最善の利益」がどうだとか、「チルドレン・ファースト(子ども第一)」などと言いながら、多数の子供が反対する法案制定に突進しようとしているからだ。

 さて、先ほどの主婦はさらに続けて次のように記している。

《働いている女性は自分らしい人生を生き、笑顔は輝いていることでしょう。/その笑顔を子どもに向けていますか? 子どもに「私より仕事の方が大切なんだ」と思わせてしまっていませんか?》

 仮に別姓法案が実現すれば、現行の夫婦同姓制について、「職業上の不便・不利益を強いられる」だとか「個のアイデンティティの侵害」だとか、要するに子供の気持ちよりも自分の気持ちを大事にしたい一部の女性たちは、これで「自分らしい人生」を生きられると、輝く笑顔を見せるのかもしれない。しかし、子供たちは成長するにつれ、「私より自分の方が大切なんだ」と、別姓を選択した親の気持ちを正確に見抜くことだろう。

今からでも遅くない。別姓法案を今国会で力づくで可決するような拙速な振る舞いは即刻改め、無視されてきた「子どもの気持ち」をしっかり把握し、議論すべきである。

かくも「軽い」民主政権幹部の発言。しかし、「外国人参政権は民団への公約」は事実だ

 小沢問題を巡って感じることは、民主政権幹部の言葉があまりにも軽いということである。むろん筆頭は鳩山首相。「どうぞ戦ってください」は先週触れたが、今週も21日に、逮捕された石川容疑者(民主党の衆院議員)について、「起訴されないことを望みたい」と発言した。東京地検を含む行政の最高責任者である首相が、個別事件の容疑者について、起訴がのぞましくないなどと意見を表明するのは前代未聞だ。後にこの発言を撤回したが、事実上の指揮権発動と言われても仕方ない失言だ。

 これで終わりかと思っていたら、今度は菅副総理・財務相がこの鳩山発言について「宇宙人と称せられている首相だから、地球人と若干、同じ言葉でもニュアンスが違ったりする」と述べたという。ならば、そんな宇宙人を総理にした民主党の責任はどうなのか。政権トップの発言とはとても思えない。

 しかし、撤回や釈明では済まないものもある。今月12日、民団(在日本大韓民国民団)の新年会に出席した赤松農水相が行った、外国人への地方参政権法案の成立は民団への公約だ。選挙当時、民主党の選挙対策委員長だった赤松氏が、参政権を条件に民団から組織的な選挙支援を受け、それゆえ外国人参政権は民団に対する公約だと言ったのである。

 その後、赤松氏は釈明しているようだが、これは失言ではない。事実である。外国人参政権を今国会に提出するというのは、まさにその公約の実現だからだ。民主党は外国人団体である民団には公約し、日本国民に対しては公約しなかった(マニフェストに掲載はない)。民主党は一体どこの国の政党か。

失格総理と「腰抜け」国会議員

失格総理と「腰抜け」国会議員
―こんな民主党を参院選で勝たせたら、日本はどうなる?―

 先週末、現職の民主党国会議員を含む小沢氏の元秘書3人が逮捕された。4億円と言われるカネを政治資金報告書に記載しなかったのだから当然のことである。4億円もの現金の出入りが小沢氏のいうような「計算ミス」であるはずがない。それでも小沢氏は検察と「戦う」のだそうである。潔白ならば、堂々と聴取に応じ、資料を公開すれば済む話である。

 むろん、「戦う」のは小沢氏の勝手だが、それに鳩山総理が「どうぞ戦ってください」と言ったというのだから驚いた。検察は鳩山総理のもとにある行政機関でもある。従って、この発言は、行政の最高責任者が小沢氏に行政と戦ってくださいと言ったことになる。要するに、鳩山総理は総理の地位の何たるかが分かっていないという他ない。総理失格だ。

 失格なのは総理だけではない。これだけの疑惑があり、また批判をあびながら、民主党の国会議員からは幹事長辞任の声どころか、民主党自身の手で疑惑を解明しようとの声も上がっていない。新聞は、民主党内に幹事長辞任論から議員辞職論まであると書いているが、しかし、誰一人として自らの名前を明らかにして声をあげた議員はいない。みんな、こそこそ裏に回って言っているに過ぎない。

 そこまで小沢支配が民主党に浸透しているのだという解説もあるが、国会議員は民主党に雇われているわけではないし、ましてや小沢氏の使用人でもない。国民から負託を受けた、独立した国会議員である。その国会議員が、この深刻な小沢疑惑に対して、自らの責任において何かを語らないというのであれば、民主党議員は全員が国会議員失格だ。産経新聞は「民主党議員は腰抜けか」(乾政治部長)と評したが、まさにその通りである。

 このまま行けば、失格総理はむろんのこと、「腰抜け」民主党議員も小沢氏の疑惑隠しの片棒を担いだということになるだろう。鳩山代表から議員まで、こんな体たらくの民主党が参議院選挙で勝利したら、日本そのものが小沢支配となってしまう。東京地検は、やるべきことをしっかりやって欲しい。

残ったのは「政治主導」という名の「小沢独裁」

 今、民主党が選挙で訴えたことのほとんどが覆ってしまった。マニフェストどおりではなかったという次元の話ではない。選挙での民主党の主張には「官僚支配の自民党政治には大変なムダがある。そのムダを省けば、子ども手当などの財源は充分に出てくる。そのためには、『脱官僚』『政治主導』でなければならない」というストーリーが根幹にあった。その物語が到底成立しないことが明確になったということである。

 「事業仕分け」は予算編成への国民の関心を高めたが、削った予算は基金の返還を含めても1兆8千億円程度。来年実施するという半額の子ども手当2兆6千億円にもはるかに及ばない。結局、埋蔵金10兆円を取り崩すという「過去最悪」(読売新聞)の予算編成となってしまった。むろん、埋蔵金が使えるのは1回切り。再来年から始まる満額の子ども手当5兆6千億など不可能だとの声も出てきている。

 一方、「政治主導」「脱官僚」の方は「小沢独裁」という異常な形に変形してしまった。143名の民主党議員団を引き連れての「朝貢」まがいの訪中、天皇陛下の「政治利用」に苦言を呈した宮内庁長官に「辞表を出してから言え」という恫喝、「全国民の要望」を僭称する政府への予算要求等々、これは「政治主導」とか「脱官僚」というものではない。

 本来の「政治主導」とは官僚の上に政府があるというもので、政府が政策決定し、その責任をとるというもののはず。ところが、民主党政権では確かに官僚の上に政府があるが、さらに政府の上に党があり、その党のうえに小沢氏がいる。これは、行政府のうえに党があり、その党の方針は総書記など実力者が決定するという、かつての共産主義国家と酷似している。これでは、共産党一党独裁ならぬ「小沢独裁」と言わねばならない。

 民主党が掲げたムダ削減が空想だったことが明らかになった今、あの「政権交代」が結局は小沢独裁だけを生んだのだとすれば、これこそ「正真正銘のムダ」だったとも言える。

これが「政治主導」の正体だ

中国の意向で天皇陛下の外国交際の原則をねじ曲げた民主党

 今月11日、小沢一郎民主党幹事長が名誉団長を務める600人以上の民主党訪中団が北京市内の各地を視察した。小沢氏は梁光烈国防相との会談で中国の軍拡に強い懸念を表明したものの、胡錦濤国家主席との会談では自らを「中国人民解放軍の野戦軍司令官」としたうえで「解放の戦いはまだ済んでいない。来年7月に最終決戦がある」などと、天安門事件で民主化を求める多くの学生を蹂躙した人民解放軍に自らを例える“離れ業”をやってのけた。参議院選挙では「解放」という名目でさらに民主主義を破壊してゆくつもりであろうか。さらに小沢氏は翌12日に韓国での講演で、在日外国人への地方参政権付与法案を来年の通常国会で成立させたい意向を表明した。与党最大の実力者とはいえ、政府外の本来何ら公的な権限をもたない人物が関係国でこのような行動をとることについては良識を疑わざるをえない。

 しかし民主党政権の傍若無人ぶりは、一般国民の目の届かぬ海外だけにとどまらなかった。11日に明らかになったところによると、中国政府が14日に訪日予定の習近平国家副主席が天皇陛下に対し特例的に会見できるよう昨月26日から日本側に求めていたようである。そしてこともあろうか鳩山由紀夫首相は小沢氏の働きかけを受けて平野博文官房長官にその実現に向けての検討を指示し、平野官房長官は7日・10日の二度にわたって「日中関係は重要だから」と羽毛田信吾宮内庁長官に会見実現を申し入れた。

 これはつまり、会見は1か月前までに申請が必要という決まりの背景である天皇陛下のご健康よりも中国のご機嫌取りを堂々と優先させようとしているということである。メディアがほめ上げる「政治主導」の結果がこれでは、行き着く先は国体(わが国のかたち)の破壊である。「政治主導」といえば、首相に理不尽な要求を突きつけられた羽毛田長官にとっては「陛下の役割について非常に懸念する」「政治的判断としてお願いするのはどうなのか」と否定的見解を示しながらも、内閣の一員として「心苦しい思いで陛下にお願い」する結果となったという。「天皇陛下の政治利用」についても宮沢内閣期の平成4年、天安門事件後の天皇皇后両陛下御訪中という悪しき先例があるが、国際社会を閉口させたその教訓を踏まえてなおというのであれば鳩山政権の蛮行は確信犯である。また、小沢氏はもはやわが国の政治指導者ではなく、まさに人民解放軍の司令官になり果てた感がある。

「政権交代」は流行語か

 本年も最後の月となった初日である12月1日、「ユーキャン新語流行語大賞」審査委員会が本年の新語流行語大賞のトップテンおよび大賞を発表した。1年の間に発生したさまざまな「ことば」のなかで、軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語を選ぶとともに、その「ことば」に深くかかわった人物・団体を顕彰するとされているものである。

 〈トップテン〉として「こども店長」(ドラマ・CMで話題の子役加藤清史郞)「新型インフルエンザ」あたりはまあ順当なところかもしれないが、同じく〈トップテン〉として「草食男子」「歴女」などが出てきているのは、対外的には “日本の男性はここまで腑抜けになりました”“日本の女性は今まで自分の国の歴史にも興味をもっていませんでした” と宣伝しているみたいで(他の国の実態がどうであれ)みっともないと思うのは筆者だけであろうか。同じく「事業仕分け」「脱官僚」も、単なるメディアによる民主党称揚の伏線としての煽動に過ぎないのではないかという邪推を禁じえない。

 そして同様に煽動の一環としてもさらに呆れてしまうのは、やはり〈年間大賞〉に選ばれた「政権交代」である。衆議院の多数党が選挙により入れ変わることで完全な政権交代が起こったのは戦後史上はじめてであるが、本来これは議会制民主政治の基本といわれる「憲政の常道」というものであり、戦前のわが国でもあったことである。この賞はほかでもない鳩山由紀夫首相が受賞したわけであるが、彼をはじめ民主党幹部とてつねづね「政権交代は民主政治の基本」だと(少なくとも政権獲得前はさかんに)主張していことは周知の通りである。だとすれば鳩山首相も、「政権交代」は(来年には忘れ去られてしまうような)流行語などではなく、これは民主政治における常套句あるいは最低条件です…くらいのことを言ってほしかった。ところが賞の表彰式に代理で出席した小川敏夫民主党広報委員長は厚顔無恥にも「今年は政権交代だが、来年からは政権堅持」などとあいさつしている。

 ちなみに昨年、辞任会見時の「あなたとは違うんです」で〈トップテン〉に選ばれた福田康夫元首相は受賞を辞退した。どちらがマシかといった程度の話にしかならないが、結局重要なのはわれわれ国民こそがメディアのくだらない商業宣伝に流されず社会情勢を見すえ、言葉というものの大切さと真摯に向き合う意志をもてるかどうかということではあるまいかと具申して筆をおくこととする。

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