余りにもナイーブな毎日論説委員の夫婦別姓「賛成論」
毎日新聞の伊藤正志論説委員が「論説ノート」(3月26日付)に、自らが別姓に賛成する理由としてこんな呆れたことを記している。
「別姓が家族のきずなを破壊し家族制度の崩壊をもたらすという反対派の主張は根拠がないと考えるからである。家族を結びつけるのは愛情だ。名字が同じだときずなが保たれるならば、今日なぜこれほど離婚が増え、児童虐待が横行するのか。おかしな話だ。」
つまり、家族を結びつけるのは愛情であって名字が同じことではない。現に家族の絆はすでに今も破壊されているのだから、同姓か別姓かは家族崩壊とは関係ない――と氏は訴えているのである。
何とも子供騙しというかナイーブな理屈ではある。これでは世の反対派はもとより、少し賢い中学生だって説得することはできまい。
まず、「家族を結びつけるのは愛情だ」との主張だ。「愛情」はむろん大事だが、それだけで家族は維持できないのは誰でも知っている。だからこそ、民法は夫婦や親子に様々な義務を課しているわけで、同姓制度はその一端にすぎない。
同時に、「家族を結びつける愛情」とは恋愛感情とは違う。それは人生を共に歩むことを決意した伴侶や子供への責任と義務の感覚に裏づけられたもので、いわば「献身的な愛情」だと言えよう。敢えて極論を言わせてもらうと、結婚に際して、名字すら統一できない程度の「愛情」では、先が思いやられる。余計なお世話かも知れないが、そんなカップルには、本当に結婚したい相手なのか、よくよく再考せよ!とも言いたくなる。
一方、同姓制度の今でも離婚や児童虐待が増えているのは事実だが、だからといって、「家族の絆」にとって、同姓か別姓かは無関係などとは言えない。というのも、同姓だからこそ離婚も虐待も今の規模で済んでいるのであって、夫婦親子別姓の世になれば、離婚や児童虐待の規模が桁違いになるであろうことが高い確率をもって予測されるからだ。
これは憶測ではない。離婚や児童虐待急増の背景には、過度の個人主義や地縁血縁という「社会の絆」の脆弱化があると言われるが、夫婦別姓の導入は、日本の社会をその方向に更に二歩も三歩も進める「突破口」となるからだ。何より「別姓先進国」のスウェーデンやアメリカの日本とは比較にならない離婚の多さはこうした懸念を裏づけて余りある。
同論説委員は、選択的別姓制度のポイントを「少数者の自己決定権」にあるとして、「問われているのは日本の民主主義だ」と結論付けている。だが、自己決定権イデオロギーに幻惑されて別姓制度を導入すれば、日本社会の存在自体が問われることになるのである。